代数学教本
海老原 円 著
A5判・並製・240頁・定価2700円+税
文字通り, 代数学の教本である.
微積分の基礎や線形代数の知識を前提として「群」「環」「体」「環上の加群」
といった代数系を扱う.著者の長年の講義経験が随所に生かされた教科書・参考書.
はじめに
本書は,題名の通り,代数学の教本である.
大学で数学を学ぶ場合,まず,微積分の基礎と線形代数を学んでから,大き
く分けて代数学,幾何学,解析学という3つの分野に進んでいく,というのが
通例であろう.
本書は,微積分と線形代数を学び終え,はじめて代数学という分野に触れよ
うとする読者を対象としている.したがって,微積分の基礎や線形代数の知識
はすでに読者が持っているものと仮定して書かれている.また,集合や写像に
関する基本的なことがらについても,ひと通り学んでいることを想定している.
「代数」という言葉を聞いて,まず,中学で学ぶ連立1次方程式や1変数の
2次方程式を連想する読者も多いであろう.確かに,代数学は「数」の「代
わり」に文字を使い,方程式を立てて考える数学の一分野として出発した.し
かし,大学で学ぶ代数学は,個々の方程式の解法の探究というよりは,むし
ろ,「ある集合に定義された演算がどのような構造を持っているか」というこ
とを論ずることに重点をおく.それはいわば,演算の構造論といった様相を呈
し,しばしば,いろいろな演算に共通してあらわれる「現象」を「抽出」する
という方法がとられる.いわゆる「抽象化」である.
線形代数においても,抽象化は非常に強力な道具であった.ベクトルのなす
集合に加法やスカラー乗法が定められている状況を抽象化したものが,線形空
間(ベクトル空間)という概念である.その幾何学的な意味についてはひとまず
おくことにすれば,線形空間はひとつのまとまった代数系(演算や作用の定まっ
た集合)をなす.
本書では「群」,「環」,「体」,「環上の加群」といった代数系を扱う.定義
については本文に譲るが,これらの代数系は,読者が数学のどの分野を学ぶこ
とになっても必要なものである.本書においても,抽象的な議論を用いて,
これらの概念について論ずることになる.
抽象的な議論は,その議論の及ぶ範囲の広さ・汎用性という点や,本質を浮
き彫りにする透明性という点からみて,非常に強力である.しかし,一方にお
いて,「なぜそのような抽象化をおこなうのか」「どのようなことがらを念頭に
おいているのか」という視点を持つことも大切である.抽象的な定義から出発
し,論理を一段一段組み立てていくことによって,次第に巨大な建造物が出来
上がる様子を味わうことは,数学の醍醐味のひとつであるが,そのような議論
に取り組む前に,その議論の「ひながた」である具体的な事象を知っておけ
ば,理解がより深まるであろう.
そこで,本書では,第1章を「代数学入門」と題して,本書で扱う概念のひ
ながたに相当するものをいくつかそこで取り上げることにした.
第1章でまず取り扱ったのは,整数である.整数を整数で割って余りを出
すという素朴な操作をもとにして,剰余類という概念を導き,さらには2つの
剰余類同士の和や積を定義する.このような議論の中に,すでに環や体,イデ
アルといった諸概念の萌芽がみられる.素数という概念も,その後,さまざま
な形に一般化される.
次に扱ったのは,置換である.線形代数において行列式を定義するときに,
すでに置換が用いられるが,本書ではあらためて置換についての基本事項を述
べた.n文字の置換全体の集合は,置換の合成を積と考えることによって,群
をなす.この群は対称群とよばれる.対称群は,いわば群論の発祥の地である.
置換の積は,数や式の加法や乗法とは異なり,一般に交換法則を満たさな
い.交換法則を満たさない演算の例としては,行列の積もあげられるが,置換
と行列に共通しているのは,それがある種の変換に関連する概念である,とい
うことである.有限個の文字の変換(並べかえ)を表現するのが置換であり,
ベクトルに対する線形変換を表現するのが行列である.行列のなす集合もしば
しば群をなす.このように,「群」は「変換」に関連して登場することが多い.
いま述べたようなことを実感していただくためには,群の理論を本格的に学
ぶ前に,群の実例をある程度頭に入れておくのがよいと思われる.そこで,第
1章の最後では,群の例をいくつか考察することにした.
さて,第1章でウォーミングアップを終えて,第2章は群についての一般論を
述べている.第3章では環と体について,第4章は,環上の加群について,それ
ぞれ述べている.
第2章から第4章の各章においては,それぞれ前半部分は,基本的な概念
の説明に費やされる.これらの3つの章の前半部分では,似たような議論が
展開されていることに読者は気づくであろう.たとえば,「準同型定理」とい
う名の定理が,群に対しても,環に対しても,環上の加群に対しても,同じよ
うな形で存在し,その証明も似たようなものであることを発見するであろう.
このことは,群であれ,環や体であれ,環上の加群であれ,基本的なことがら
を論ずるにあたっては,ある共通の考え方が底流として存在することを意味す
る.いい換えれば,これらのことがらを理解するには,ひとつの「コツ」のよ
うなものをつかんでしまえばよい,ということでもある.読者には是非そのコ
ツをつかんでいただきたいので,これらの3つの章の前半部分では,あえて同
じような議論をくり返している.
第2章から第4章の後半部分は,それぞれ固有の話題を選んで,それにつ
いて述べている.ただし,あまり欲張って多くの話題を取り上げることをせ
ず,その分,叙述を丁寧にすることを心がけた.
第2章においては,アーベル群の基本定理を紹介し(証明は第4章に回した),
交換子群や類等式についても言及している.シローの定理は,有限群の
構造の分析には重要な定理ではあるものの,やや専門的な話題であるので,簡
単な紹介にとどめ,証明は省略した.
第3章においては,非可換環の考察は省略し,単位元を持つ可換環のみ取
り扱っている.後半部分は,一意分解整域上の多項式環がやはり一意分解整域
であるという定理の証明に紙数を割いている.
第4章の後半部分は,単項イデアル整域上の有限生成加群の構造について
論じ,アーベル群の基本定理をも包含する定理を紹介している.議論を進める
にあたっては,線形代数との類似を重視する方針をとった.
ホモロジー代数については述べることができなかったが,読者が将来,ホ
モロジー代数を勉強するであろうことを想定し,完全系列の考え方や Five
Lemmaなどを述べ,それらを実際に用いて議論を展開している.
最後に,第5章では体の拡大の理論について述べ,ガロア理論とよばれる
理論の一端をのぞいてみることにした.ガロア理論は,1変数多項式の根の状
況を,体の拡大や体の自己同型写像と関連付けて理解しようとする理論であ
る.その理論構成は非常に美しいものであるが,やや専門的な話題でもあるの
で,骨子を述べるにとどめた.ただ,理論の展開に際して,それまでに学んで
きたことがらをフル活用することになるので,読者の学習の総まとめとしては
適切な材料であると思われる.
以上が本書の概略である.本書で取り扱うことのできなかったことがらも多
い.内容の取捨選択は,かなり悩ましい問題であるが,いちおう,大学の標準
的なカリキュラムに沿うものを選んだつもりである.
本書の内容や構成を考えるにあたって,次の2点を大まかな指針とした.
・基本的な知識と,それを活用する考え方を読者が習得できるようにする.
・それらの知識や考え方の素養があれば,将来専門的な勉強に進んだとき
にも,必要な知識をそのつど自力で身につけることができるようにする.
代数学の考え方を身につけるためには,ある程度の知識が必須である.必要
最低限の知識は本書で述べたつもりであるが,単なる知識を寄せ集めても,そ
れは読者の糧とはならない.読者が知識を自分のものとするためには,その習
得の「深さ」が必要である.その深さを1冊の書物においてどのように実現す
るか….それは非常にむずかしい問題である.著者は大学で代数学の講義を長
年受け持っているが,知識をいかに深く習得させるかということについて,い
まだに満足のいく解答を見出せずにいる.しかし,著者のささやかな経験から
得たものは,惜しみなく本書に注ぎ込んだつもりである.
(略有)
2017年秋著者記す