数理と社会
増補第2版
河添 健 著
四六判・並製・208頁・定価1900円+税
2006年の初版以来 10 年間に数理は不変だが社会が変化した.
49番目のメルセンヌ素数が見つかる(第2章),携帯電話・PHSの普及台数が 1億9569万台になる(第6章),東北地方太平洋沖地震・熊本地震が起きる(第6章),ISBN コードが13桁になる(第10章)などである.それぞれの記述を変更し,あるいは文章を補足した.また数学が関わる映画や舞台も新たに加えた.
まえがき
高校生の頃 (30数年前 )と比べると教科書は明らかにやさしく
なっている.色彩が豊かで写真やイラストも多い.あの頃にこん
な教科書があったらもっと楽しく気楽に数学を勉強できたのにと
正直に思う.しかし教科書は生徒の学力に合わせて書かれている
ので,今の生徒が楽しく気楽に数学を勉強しているわけではない.
昔と同じように数学に苦労している.してみるとこの 30年間,
数学教育は負の螺旋階段を登り続けている.登り続けること,数
学に接し考え続けることは肝心である.どんな形でもよいから高
校の 3年間,大学そして社会生活の中で継続して数学に触れるこ
とが重要である.そのような環境を作ることの本質は教授内容と
教授方法にあると思う.
大学初年度の数学の講義は,理工系だと『微積分』と『線形代
数』から始まる.学生は高校で数 III, Cまで勉強しているので
何とか同じスタートラインである.ところが文系だとそうはいか
ない.受験科目に数学 I, II, A, Bを課していれば問題はないが,
そうでないと数学 I, Aだけ,一年間しか履修していない学生も
いる.その結果,数学は選択科目となり,内容も『教養の数学』
などが定番となる.これでは大いに困る.文系の学生でも各種の
数理モデルを理解するぐらいの知識を身につけて欲しい.ここで
もそのための教授内容と教授方法が問われている.
ところで理系と文系と言うと,いかにも理系の生徒が文系の生
徒に比べて数学に強いとの印象がある. 30年前は確かにそうで
あった.しかし現在は上位の 3割ぐらいを除けば,それぼど差は
大きくないのではないか.とくに考えない学生という視点では理
系も文系も同じである.さらには理系の学生の中での信じがたい
事例がその僅差を物語っている.
sin(x + y) = sin x + sin yとか sin x/ x = sinと計算する学生,
3年生で定義と定理の区別ができない学生,修士 2 年生で "先生,
修士論文のテーマ決まりましたか?"と質問する学生などなどきり
がない.学会などで同僚と情報交換するのが楽しくなるくらいで
ある.
だんだんと現実が浮かび上がってきた.要するに理系も文系も
関係なく,数学を楽しく勉強する環境がきわめて少ないのである.
また的外れの数学を勉強している学生も大勢いる.このように数
学の教授内容と教授方法が問われる中で,『数理と社会』という科
目を大学初年度に設置した.数学に楽しく接し,考えることを目
的とした講義であり,本書はそのテキストである.主たる受講生
は文系の学生であるが,理系の学生も十分に楽しめる.できれば
高校生や社会人にも読んでもらいたい.多くのテーマは社会と接
点がある数学なので,数学に限らず,背景にある社会問題も大い
に議論してもらいたい.
映画に関する話題がしばしば登場する.単に著者の好みだが,
映画も注意深く観ると結構,数学が関わっていることに気づく.
2006年 7 月
慶應義塾大学総合政策学部 河添 健
増補版によせて
2006年に原稿を執筆してから 6年が過ぎた.通常,数学の本
であると増刷してもその内容を修正することはほとんどない.『解
析概論』高木貞治著 (岩波書店 )は 1938年に出版され,増訂版
(1943年),黒田成勝氏の翻案による改定第 3 版 (1983年),定本
(2010年)と版を重ねる.記述方法の変更や補足などは行われる
ものの根幹の記載内容は不変である.
ところがこの『数理と社会』はそうはいかない.この 6年間に
数理は不変だが,社会が変化してしまった.主だった変更を必要
とする事実としては,47番目のメルセンヌ素数が見つかる (第 2
章),携帯電話・ PHSの普及台数が 1億3000万台になる (第 6
章),東日本大震災が起きる (第 6 章),ISBNコードが 13桁になる
(第 10 章)等である.それぞれの記述を変更し,あるいは文
章を補足することにした.また数学が関わる映画や舞台も少し加
えた.
ところで第 1 章でラマヌジャンの映画化が検討中と述べたが,
2006年以降,伸び伸びになり, 2011年に再び製作が浮上してい
る.一方,英国では 2007年にハーディとラマヌジャンの関係を
扱ったコンプリシテの舞台『 A Disappearing Number』が上演
されている.この 6 年間も黄金比に関わる製品やデザインは尽き
ることなく市場にあふれている.中には「泡とビールの黄金比」,
「黄金比ハンバーグ」,「おいしさの黄金比」「黄金比ダイエット」
などもある.もちろん美しい長方形の比率は黄金比だけではな
い.第 4 章に白銀比の記述を加筆した.今回は紙面の都合もあ
り,大幅な加筆は許されないが,さらに社会が変化すれば増補 2
版も必要かもしれない.
2012年 8 月著者