不等式──21世紀の代数的不等式論
安藤哲哉 著
A5判・上製・288頁・3500円+税
不等式を証明するには、式変形だけでなく、代数・幾何・解析学の諸理論が役に立つことを示した。理論的・体系的解説書。
まえがき
まえがき
不等式の代数的理論は,Muirheadの不等式が 1902年に発見されて以来,
数十年間めぼしい進展がなかった.そのため,多くの数学者からは,代数
的不等式論は「終わった数学」のような扱いを受けてきて,あまり省みら
れることがなかった.しかし,1990年ころから,多数の新しい定理が次々
に発見され始めた.残念ながら,「不等式」の研究体制は世界的に脆弱で
あるため,目立たない雑誌に発表された結果が多く,これらの結果はあま
り認知されていないようである.
不等式は高校数学の延長のようなものだから,式変形のテクニックさえ達
者であれば,何とか証明できるだろう,などと考えるのは,ちょっと時代
錯誤である.
20世紀半ばまでに証明できなかった不等式は,式変形の技巧だけでは,な
かなか証明できない.本格的な理論や道具を工夫することによって,はじ
めて証明できる不等式も多いのである.本書では,従来の不等式の本より,
体系的理論の説明が多く,式変形の技巧による不等式の証明ではなく,代
数幾何や凸解析を利用した間接的な証明が多く登場する.
読者層としては,優秀な高校生からプロの数学者までを想定している.本
書はを執筆しようとした当初は,数学オリンピック用の教材を意識してい
たが,上記のような最近の結果を盛り込んで体系化しているうちに,代数
的不等式論の本格的専門書になってしまった.不等式の証明では,抽象的
な現代数学を用いないものも多いので,優秀な高校生なら半分以上の内容
は理解して頂けると思う.ただ,一部,大学院レベルの抽象数学を知らな
いと理解できない証明もあるので,そういう証明は飛ばして読んでもらっ
てもよい.
第 1 章は,古典的な不等式を要約して紹介した.この章の内容は,ハー
ディー・リトルウッド・ポーヤ共著の有名な教科書『不等式』等にも詳説
されているから,ご存知の方が多いと思う.
第 2 章の内容は,3変数の多項式型巡回不等式の構造についての研究で,
1990年以降に解明された結果が大半であり,本書の執筆中にも,重要な定
理がいくつか発見されたため,何回も原稿を書き直さなければならなかっ
た.プロの数学者にもぜひ読んでもらいたい部分である.一部,代数幾何
学の考え方を使っているので,解析の専門家の方には,少し読みづらいと
ころもあるかもしれない.まだ研究途上の部分も多いが,これまでに解明
された部分を紹介した.いまのところ,海外の文献を含めて,他書では解
説されていない内容が大半である.ここでは,計算の技巧より,不等式の
族の代数的・幾何的構造の分析に主眼が置かれている.
第 3 章では 3変数の有理型不等式や無理不等式を扱う.この章の内容は,
他書でも紹介されている内容が多く,特に C^rtoajeの著書[Cir]に詳しい
解説がある.ただ,本書では,第 2 章の結果を利用してこれらを証明する
ので,問題へのアプローチの方法が既存の書とは大幅に異なっている.問
題の難易度としては第 2 章より易しく,数学オリンピックのトレーニング
に手頃なレベルの問題も多い.
第 4 章では,C^rtoajeやHungによって最近開発された凸解析を利用した
種々の定理とその応用を紹介する.
Jensenの不等式やKaramataの不等式を一般化して,凹凸の変化のある関数
に対しても凸解析を利用しよう,というのがこの章の主なアイデアである.
第 5 章では,Shapiroの巡回不等式を扱った.この定理の証明に1章を割
くのは大袈裟かもしれないが,証明自体が面白いので紹介した.最初は
n=12の場合の証明にとどめようかと思っていたが, n=23の場合の簡明な
証明が見つかったので,それも紹介した.
最近,代数的不等式の理論が再び進展し始めた理由のひとつには,数式
処理ソフトを用いて複雑な計算を試行錯誤したり,数値実験を大量に行っ
たり,グラフを描いて不等式の本質的な仕組みを考察することが容易にな
ったことも大きな理由である.本書全体を通じて,手計算では行うには繁
雑すぎる計算が多く登場するので,そういうところは,数式処理ソフトを
活用して確認してほしい.
本書を執筆してみて,不等式の証明というのは,時に,抽象代数や代数幾
何学の未解決問題に匹敵する難しさがあることを改めて実感した.不等式
の理論は,まだ体系化・現代数学化があまり進んでいないが,第 2 章で述
べるように,あるクラスの不等式全体の集合は,代数幾何的構造を持って
いるのだから,現代数学との接点が他にもいろいろ見つかるように感じる.
2012年 9月
著 者