問題・予想・原理の数学2 周期と実数の0-認識問題 Kontsevich-Zagierの予想

吉永正彦 著/加藤文元・野海正俊 編集
A5判・並製・208頁・定価2500円+税

Kontsevich-Zagierの予想は本質的に「二つの周期が与えられたときに, それらが等しいかどうかを判定できるか?」という0-認識問題に対して 「積分の変形で移りあうかどうかを見ることで判定できる」という主張を するものである. ----まえがき から

まえがき

 円周率を表す公式は膨大にある.20世紀に見つかったものだけでも山のよう にあるし,21世紀に見つかったものすらある. 円周率を求める努力は紀元前の アルキメデスから始まるが,決定的な出来事は微分積分の発見であろう.微分積 分以降,円周率を表す公式の発見には実に多くの分野の知見が生かされている.
現在知られている公式のほとんどは微分積分なくしては発見されなかったであ ろう.円周率が関係している公式の多様性は,微分積分の大きな成功と繁栄の象 徴といえるかもしれない.

 一方で歴史を振り返ってみると,数学は単にdiverseな発展だけからなるとい うわけではないはない.ユークリッド幾何は主に平面上の直線と円(または円 錐曲線)に関する数学で,古代ギリシア以来膨大な蓄積があったが,座標平面の 発見により代数的な問題へと帰着された.座標を使った代数的な図形の記述は, ユークリッド幾何に対する統一的な扱いを提供する一方で,次数の高い曲線や高 次元の図形を扱う道を拓いた.これら新しい図形に対しても,微分積分のおかげ で接線,面積,体積などを統一的に扱うことができるようになり,微分幾何が生 まれた.また,図形の連続変形を許すという視点からトポロジーが,「多項式を 使って図形を表示する」という点に注目することで代数幾何が生まれ,この百数 十年発達してきた.話は飛ぶが,最近の導来圏を使った代数幾何学は,部分多様 体,多様体の上の層,微分方程式など全く素姓の違うと考えられていたものを統 一的に扱う枠組みを提供しており,空間とは何かという根源的な問いに対して新 しい方向を提示していると考えられている.

 このように,数学は多様な研究とそれらを統一する概念や視点の導入,さらに 新たなレベルでの深化を繰り返すことで発展してきた.
 2001年に発表されたKontsevich-Zagierの「周期」([52])は,円周率に代表さ れるような,実数の「積分表示」の多様性に対して,統一的な視点(予想)を提 供し,その先にある美しい世界を垣間見させてくれる論説である.

 数学は歴史的に様々な必要性に応じて,数の世界を広げてきた,    N ⊂ Z ⊂ Q ⊂ R.

 現在では実数の集合Rは「有理数列の極限として得られる数全体」(Qの完備 化)として定めるというのが標準的である.つまり,Qというよく分かる集合か ら,「極限」を付け加えることでRを得るのである.我々はQの中では様々な ことを正確に行うことができる.たとえば二つの有理数c/dとa/bが等しいかどう かをアルゴリズミックに確かめることができる(0-認識問題).さらに,四則演算 を自由に正確に行うことができる.有理数ではない実数(無理数)というのは定 義から有理数列の極限であるから,これらの数の間の四則演算は「有理数列の極 限」という定義を使って実行されるのであろうか?    √2 × √3 = 6 という中学で習う公式は,必ずしもそうではないことを教えてくれている.我々 は,√2 や√3 に収束する有理数列を具体的に知らなくても,上の公式が正しい ことを証明できる.これは,有理数と同様の代数的な統制が有理数の外にも(す べての実数ではないが)及んでいるということを意味している.さらに,√2とい う数の定義を思い出すと,「 x^2-2=0 を満たす正の実数x」であった.√2 を 解にもつ(有理数係数)方程式は無数にあるが(たとえば x^4-4=0),それらは すべて多項式として x^2-2 で割り切れるという性質を持っている.この意味で, √2が満たす方程式は本質的にただ一つであることが分かる.まとめると,√2 や √3 たちが住んでいる代数的数 Q の世界でも,  ・極限を使わないで様々な操作をすることができという代数的な統制,  ・本質的に一意的な表示, を持つことが分かる.
 Kontsevich-Zagierのアイデアは「積分表示」に注目することで,代数的数よ り広い世界を扱おうというものである.たとえば円周率は
 (積分表示の数式略)
のような積分表示を持つ.「周期」と呼ばれる積分表示を持つ実数たちを考える ことで,代数的数よりも広いクラスの数を扱うことができるようになるのである.
 しかし,この「代数的数よりも広いクラス」で良いものを見つけたいという 問題意識は古いもので,数々の試みがあり,本書でもいくつか触れることになる.
他と比べて,Kontsevich-Zagierの「周期」が独特であるのは,有理数や代数的 数と同じ意味での代数的統制を,「周期」まで広げられるのではないかという予 想を明示的に述べた点であると思う.

 「代数的統制」と「表示の本質的な一意性」が,代数的数を超えて,積分表示 を持つ実数たちの世界まで及んでいるという美しい世界観(予想)は多くの人の 心を打ち,専門家からアマチュアまで,物理学者から数理論理学者まで多くの 人の実数観に影響を与えた.積分を扱う上での新しい思考パターンを確立した といえる.実は,数論や代数幾何の専門家の間では「Grothendieckの周期予想」 として近い内容のものが以前から知られていた.Kontsevich-Zagierの予想は, 「Grothendieckの周期予想」の核心の哲学を弱めることなく,より初等的な言葉 で述べた点が大きかった.このようにして数学のすそ野が広がっていくのであ ろう.
 Kontsevich-Zagierの予想を解くことは大変難しいと考えられ,現時点では有 効なアプローチのアイデアすらない.個人的には,Kontsevich-Zagierの予想は, そこに予想としてあってくれるだけで幸せな予想,解けなくてもよいが,その予 想を心の中で唱え,それが予言する世界に思いを馳せるだけで幸せになり,自分 でもなにかやりたいという冒険心をかき立てられる予想である.初等的な言葉 で述べられる予想ではあるが,今後長い期間,人間の精神活動に喜びと活力を与 え続け,数学を進展させるエネルギーを与え続けるのではないかと考えている.
このような周期に関するKontsevichとZagierの予想が本書のテーマである.
 Kontsevich-Zagierの予想は本質的に「二つの周期が与えられたときに,それら が等しいかどうかを判定できるか?」という0-認識問題に対して「積分の変形 で移りあうかどうかを見ることで判定できる」という主張をするものである.

 以下,各章の内容を簡単にみてみよう.
 第1章ではまず二つの実数が等しい/異なるというのはどういうことかを考 える.ギリシアの三大作図問題を,実数の代数的構造の理解を2000年以上にわ たってリードしてきた問題と位置づけて紹介し,代数的数の範囲に限れば,我々 は近似などを使うことなく,正確に四則演算などの操作をすることができること をみる.

 第2章では本書の主要テーマであるKontsevich-Zagierの予想を紹介する.抽 象的周期環を使ったものや,最近のAyoubによる定式化なども紹介する.また, 「代数的数より広い数のクラスの定義」の試みとして,梅村の初等数,古典数に も触れる.

 第3章ではKontsevich-Zagierの予想の背景にあるアイデアの起源を歴史を さかのぼって探してみたい.微分積分の創始者のひとりのLeibnizが既に関数や 積分の超越性に触れる発言や手紙を残している.Leibnizは記号やその変換規則 を適切に定めれば,すべての真理を記号の操作に帰着できるという構想(「普遍 記号論」)を持っており,Kontsevich-Zagierの予想も(筆者の個人的見解では) 自然にその延長上にあるように思われる.Leibnizが現在使われている微分積分 の記号を使い始めた時点から何十代にもわたって,我々の思考法も大きな制約を 受けているのかもしれない.

 第4章は,周期などの積分を扱う際に技術的に重要になる実代数幾何の枠組 みをいくらか紹介する.

 第5章では,「不可能性」に関する知られていることを紹介する.Kontsevich- Zagierの予想は,周期が等しいかどうかを判定するアルゴリズムの存在を予想 している(このこと自体は第6章で述べる).他方,Turingにはじまる計算可能 実数の範囲では,二つの実数(を近似する有理数列が与えられたとき)に対して, それらが等しいか否かを判定するアルゴリズムは存在しないことが知られてい る.そのことと,さらに初等的関数の範囲でも,決定不可能な問題があるという 結果を紹介する.

 第6章では,Kontsevich-Zagierの予想と同様に,積分に関連した二つの大予 想,Hodge予想とGrothendieckの周期予想,の紹介をする.Hodge予想を仮定 すると,代数多様体の与えられた位相的サイクルが代数的かどうかを判定するア ルゴリズムの存在が示せることをSimpsonの論文に沿って紹介する.またこれ と同様の議論により,Kontsevich-Zagierの予想からは周期の0-認識問題を解く アルゴリズムの存在を示すことができる.

第7章では,Kontsevich-Zagierの予想が示唆している事実として,「円周率 に収束する級数は本質的に一つではないか」という予想の定式化をする.現在 知られている円周率に収束する多くの級数はホロノミック級数というクラスに 属している.ホロノミック級数の変形規則をいくつか定式化して,二つのホロノ ミック級数の極限が等しくなるためには,これらいくつかの変形規則を使って互 いに移りあうことが必要十分条件であろうという形で定式化を目指す.

 第8章はKontsevich-Zagierの予想の一つの簡単な類似の問題として,多面体 の格子点の問題を扱ってみる.大雑把に説明すると,二つの多面体内の格子点の 数が等しいときに,それらの格子点の間に自然な全単射を作ることができるか? という問題を扱う.数学では難問が解けなくても,「似ているが解ける問題」を 探すことそれ自体の楽しさを伝えたい.

 各章の間には,あまり強い論理的なつながりはない.というわけで,特に最初 から読んでもらう必要はない.予備知識についても,特にモデルとなる読者のレ ベルを想定するようにはせず,各章まちまちである.たとえば第1章(の一部) は筆者が何度か大学一年生向けに講義した内容である.高校数学程度の予備知 識で読めるのではないかと思う.一方,第6章は定義は一通り述べたが,この章 の内容を理解するにはある程度代数幾何に慣れていることが必要であろう.こ れも「周期」が関係した問題は,初等的な装いをしている部分もあるが,様々な 深い数学と関係していることを反映しているのだと考えている.

 最後に私事ではあるが,筆者が周期との付き合いをもったいきさつを述べた い.最初にKontsevich-Zagierの論説「周期」の存在を知ったのは,大学院生時 代に指導教官の斎藤恭司先生から「皆が漠然と感じていたことをうまくまとめ てある」というような評を聞いたときだったと思う.斎藤先生の評を聞いて気 になっていたのだが,実際に論説そのものを読んだのは数年後にポスドクをし ているころだった.すぐに引き込まれ,自分でも何かやりたいと思い,周期でな い数に収束する数列を生成するアルゴリズムを書き下したプレプリントを2008 年にArXivに投稿した.このプレプリントがきっかけで,国内外で十数回講演 させてもらう機会を頂き,講演のたびに新しい人に興味を持ってもらい,様々な 分野の専門家と話す機会を持つことができた.周期に関するKontsevich-Zagier の予想や,Turingの計算可能実数の構想がもつ普遍的な重要性のゆえだろうと 思っている.そのような事情でKontsevich-Zagierの予想周辺の本の執筆依頼が 筆者の所に来たのだと思われる.

 謝辞 これまで筆者が所属した神戸大学,京都大学,北海道大学の同僚,事務 や図書の職員,学生の方々にまず感謝したい.筆者が日常的に数学的刺激に満ち た生活を送ることができているのは皆様のおかげである.これまで講演機会を 頂いた様々なセミナーや研究集会のオーガナイザーや聴衆の皆様,そこで頂いた 多くのコメントにも感謝したい.多すぎて一つ一つの出来事を挙げることはで きないが,本書の大部分は,これら多くの方々とのコミュニケーションから発展 したものである.

 数学の指導と「周期」を読むきっかけを与えてくれた斎藤恭司先生,上述の プレプリントを書いた際に一番身近にいて,いち早く後押しして下さった齋藤政 彦先生にも感謝したい.両先生のサポートがなければ,周期に関する本を執筆す るという得難い機会は得られなかったと思う.

 実はこのテーマは将来いつか自分で好きなように書きたいと思っていたテー マであった.思いがけず,数学書房から周期に関する本を書かないかというお誘 いを頂き感謝している.依頼を受けた時点では,時期尚早であるというのが率直 な思いであったが,しかしそのようなことをいっていてはいつまでたっても機は 熟さないことを恐れて,思い切って引き受けることにした.機会を与えてくれた 編集委員の加藤文元先生,野海正俊先生,また筆者の筆が遅いのを我慢強く耐え てくださった数学書房の川端政晴氏に感謝したい.

 最後になるが,日常を支えてくれ,執筆を優先するために色々と不便をかけた 家族,とくに妻には,感謝したい.最初に(部分的に)読んでコメントをくれたの は妻である.執筆を引き受けた時点で一歳だった娘は三歳になった.その間,言 葉を覚え,数を数えられるようになるプロセスに参加することができたことは, 本書の執筆の上でも影響があったと思う.筆者にとって「数えたり積分したり すること」がなぜこんなに面白いのか自分でも分からないのだが,娘(おそらく 多くの子供)にとっても「数えること」が面白いらしいことを知り,数えたり積 分したりすることには根源的な面白さがあるのだろうという自信をもらった.
 2015年7月
                              吉永正彦

目次

第1章 整数,有理数,代数的数
   1.1 πとeを巡る噂
   1.2 ギリシアの三大作図問題
   1.3 代数的数
   1.4 実代数的数に対するInterval arithmetic(区間算術)
   1.5 代数的数と超越数

第2章 Kontsevich-Zagierの予想
   2.1 周期の定義と基本性質
   2.2 周期の間の関係式:Kontsevich-Zagierの予想
   2.3 抽象的周期環
   2.4 Ayoubによる定式化
   2.5 初等的数,古典数

第3章 Leibniz
   3.1 略伝
   3.2 πの算術的求積
   3.3 普遍記号論
   3.4 積分の超越性を巡って

第4章 明示的代数幾何学
   4.1 量化記号消去
   4.2 CAD
   4.3 三角形分割と半代数的写像の自明化
   4.4 複素代数幾何と実代数幾何

第5章 計算可能実数と0-認識問題
   5.1 Turingと計算可能実数
   5.2 再帰的関数
   5.3 再帰的関数のGodel数
   5.4 停止問題,決定不可能性,非再帰的集合
   5.5 計算可能実数
   5.6 Hilbertの第10問題
   5.7 初等関数に関する決定不可能性

第6章 Grothendieckの周期予想とHodge予想
   6.1 層,コホモロジー,超コホモロジー
   6.2 代数的de Rhamコホモロジー
   6.3 代数曲線上の代数的de Rhamコホモロジーとその積分
   6.4 代数的サイクルとGrothendieckの周期予想
   6.5 Hodge予想
   6.6 サイクルの代数性判定
   6.7 周期の0-認識問題

第7章 ホロノミック実数
   7.1 円周率の関係した公式
   7.2 形式的冪級数環とWeyl代数
   7.3 ホロノミック級数:一変数
   7.4 代数関数のホロノミック性
   7.5 Fourier変換
   7.6 ホロノミック級数:多変数
   7.7 定義可能ホロノミック級数
   7.8 ホロノミック数
   7.9 定義可能ホロノミック級数の変換規則
   7.10 他の変形規則

第8章 Kontsevich-Zagierの予想と類似の問題
   8.1 組合せ論的類似
   8.2 全単射的証明
   8.3 そもそも全単射証明とは何なのか?
   8.4 格子多面体のEhrhart多項式
   8.5 半多面体的集合のGrothendieck半群

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