テキスト理系の数学8 曲面──幾何学基礎講義
古畑 仁 著
A5判・並製・256頁・2600円+税
オイラーやガウスといった輝かしい数学の巨人たちの成果を紹介し,
現代幾何学を学ぶための基礎を習得するための教科書.
まえがき
目に見える曲線や曲面の形をどのように記述し調べることができるだろうか.
この素朴かつ深遠なテーマは,今日に至るまで幾何学の故郷として絶えること
なく研究が続けられている.本書は,オイラー(Leonhardt Euler,1707-1783)
やガウス(Johann Carl Friedrich Gauss,1777-1855)といった輝かしい数学の
巨人たちの成果を紹介し,現代幾何学を学ぶための基礎を習得するための教科
書として書かれた.やさしい微分幾何学および位相幾何学(トポロジー)の解説
になるように努めたつもりである.
本来ならここで微分幾何学,位相幾何学がどんな学問かを説明しなくてはな
らないかもしれない.ここではその代わりにこんな問いを発してみよう.我々
のいる宇宙はどんな形をしているか.空間に対して形という言葉を使うこと
は,日常的な感覚とは相容れないかもしれないが,もしも我々の宇宙を外から
眺めることができたなら,この問いに答えることができるかもしれないという
気がする.こんな思考実験をしてみよう.曲面を思い描く.我々の宇宙がこの
曲面で,我々はそこに住み,その曲面を全世界としている.超越的なるものだ
けが,曲面を外側から見てその形を理解できる.はたして曲面の形は我々には
わからないだろうか.それにそもそも形とはなんだろう.
この問いに答えるためにはつぎのような方針がとれるだろう.第 1 段階と
して,超越的なるものの立場で形をどう記述すべきか検討する.形は定性的に
も定量的にも計測されなければならない.第 2 段階として,我々には感知で
きない外側を考えず,内なる世界の中で完結した幾何学を整備する.もしも世
界が歪んでいれば,それは我々の感覚とは異なる新しい幾何学となるかもしれ
ない.第 3 段階として,第 2 段階で定めた「内部の幾何学」と第 1段階で定
めた「外から見た形」の概念との関係を調査する.
本書を読めば問いへの答えがすぐにわかる,というわけではない.しかし問
題は明確に定式化され,それに対して先人が与えた解答を古典的な定理として
知ることになるだろう.それはさらなる課題を生み,然して読者は幾何学----
形の探究へと巻き込まれる.
曲線と曲面の微分幾何学についても位相幾何学についても,すでに多くの教
科書が出版されているので,あらたにこのような本を送り出す機会を与えられ
てもじつは躊躇せざるを得なかった.しかしながら,現在の実際の大学生の顔
を見て行った講義の記録としてなら幾分価値のあることと思うし,他書にはあ
まり取り上げられない話題があれば手に取っていただける可能性もあると思
い,執筆を開始した次第である.
本書の主要部は,北海道大学において2009年度に開講した講義「幾何学基
礎」で毎回の講義時に配布した資料をもとにしている.2012年度に再び担当
する機会に改訂が加えられた.「幾何学基礎」は,2008年度からの新設科目で,
数学専攻のおもに3年生を対象としている.前期に90分を週2回,15週にわたって
開講される.本編は1章が1回分の講義に相当している.実際に講義中に十分時間
が割けない部分(で練習以外の項目)には*印をつけた.24回分しかないのは,
演習や試験に 6回が充てられたからである.受講生は,入学以来2年間にわた
る微分積分学と線型代数学,半期の微分方程式論と位相数学の講義を受けてい
ることを期待されている.ということなら,かなり本格的な「幾何学基礎」に
なりうるかもしれないが,実際は, 1年次で学ぶ微分積分学と線型代数学から
なるべく滑らかに接続するように心がけたつもりである.この「幾何学基礎」
に引き続き,後期には,多様体論とホモロジー論の科目が用意されている.
可微分多様体やホモロジーの概念は,現代数学を学ぶ土台といってもよい非常
に重要なものである.多くの学生にうまくそちらに進んでもらえるように願い
つつ題材を選んだ.
本書の一つの目標は,曲線や曲面の曲がり方を記述する量を具体的に計算で
きるようになることにある.計算できるものは計算せよ.計算できないもの
は計算ができるようにせよ.単純な計算でも,コンピュータでもできるからと
いって,この楽しみを放棄するのはもったいない.講義でもそうしたように簡
単な計算はなるべく省略せずに書いたつもりである.
さらに,いわゆる閉曲面の分類を題材に位相幾何学という分野の雰囲気を紹
介する.ガウス・ボンネの定理は他書と同様,本書でもその中心に位置するだ
ろう.19世紀末から20世紀前半の大域的な微分幾何学の結果もいくつか紹介し
た.多様体論へという配慮から,「曲線」や「曲面」の定義は若干工夫してあ
る.また,曲面を局所的にあつかうときに通常「曲面片」という用語を用いる
が,ここでは「座標曲面」なる語をあてている.
クライン(Felix Christian Klein, 1849-1925)は,空間とその変換群が与え
られたとき,その変換で不変な図形の性質を研究する学問が幾何学であると定
式化して見せた.なじみのあるユークリッド幾何学として曲線や曲面を調べ
てきた本編に対して,付録 Aは,曲線や曲面をベクトル空間内の図形として
取り扱う.正則線型変換によって図形が大きくゆがむ様子を想像できると思う
が,そのような変換で不変な曲線や曲面の性質をどのように調べるかを解説す
る.さらに,ベクトル空間内の曲面の微分幾何学では,クリストッフェル記号
とよばれる関数の組が曲面の形のすべての情報をもっていることが明らかにな
るだろう.
行列がたとえば線型変換の一つの表示と理解できることと同じように,この
クリストッフェル記号は接続とよばれるものの一つの表示と理解できる.付録
B は,接続の定義を与えるとともに微分幾何学とくに部分多様体論の最先端の
講演や論文がある程度理解できるように,記号や用語を準備することを目標と
した.
この付録 A,B は,2010 年度北海道大学でおこなった講義「幾何学続論」
(おもに 4年生向け)および2008年度北海道教育大学札幌校でおこなった集中
講義 (おもに2年生向け)の内容の一部である.
現在,多くの大学では幾何学入門コースとして,15回分の曲線論曲面論を
提供している.本書をそのテキストとする場合は,
第 1 章から第 5 章,第 8 章から第 11 章,第 14 章から第 16 章
の 12回分を用いることができる.その場合は,ガウスをしてエレガントな定
理と言わしめた定理 16.2がよい目標になるだろう.また,第 17章から第 20
章までは位相幾何学入門として独立して読むことができる.ここで雰囲気をつ
かんでから,代数学の準備を整えて本格的な位相幾何学の教科書へ進むことも
薦められる.
本書の練習問題には,たんなる計算問題から本文では扱えなかった定理まで
いろいろなものが混ざっている.読者は,練習が自力で解けないからといって
気にする必要はないし,はじめて読むときに全部に時間をかけて取り組む必要
もないだろう.ただし,問題文には目を通して,いくつかを選んで挑戦してみ
てほしい.あとで用いることになる練習には ◇印をつけた.数学を学ぶとき
に大切なことは,典型的な例を自分のものにすることである.定義と例は異体
同心,定理の証明はとばしても例はとばしてほしくない.(後略)
2012年12月 札幌にて
著者