数学書房選書4

確率と乱数

杉田 洋 著
A5判・並製・160頁・2000円+税

「ランダムである」とはどういうことか? その性質を確率の計算によって調べることができるのはなぜか? こうした本質的な問いに答えるには,“確率”と並んで“乱数”の知識が必要である.

はじめに

想像して欲しい,その昔,“確率”という言葉がなかったころを.不規則,予 測不能,偶然,でたらめ,ランダム,等々…こうした言葉で表される状況 (以下,ランダムという言葉で表す)を前にして人々は無力であった.しかし長い時 間をかけ,ついに人類はこの厄介者を表現し,解析し,定義し,さらには応用す る知恵を見出した.しかもそれが正確無比で厳密な数学において..幾何学や代 数学とまったく同様に..成し遂げられたことは,ただ驚くばかりである….

高校で習う確率は「場合の数を数える」ということが基本であった.大学で 学ぶ確率もそれが基本であることには変わりはない.ただ,高校の場合と違っ て巨大な場合の数を数える.たとえば 10000!のような数がどれくらいの大きさ なのかが問題になる.そういう問題を考えるとき,じつは微分積分が役立つの である.また,あまりに大きな数を扱うときは,いっそ無限大の極限を考えた 方が計算が容易になることがしばしばある.そこでも微分積分が役立つ.つま り大学で学ぶ確率は「巨大な場合の数を微分積分を用いて数える」ということ が基本となる.

では,なぜ巨大な場合の数を数えるのだろうか.それは“極限定理”と総称 される様々な定理を見出すためである.極限定理は現実の問題を解くためにと ても役立つ.たとえば10000人の人々の生活における各種統計データを解析す る,あるいはアボガドロ数ほどの分子の挙動の織りなす物質の性質を調べる, そういうとき極限定理は強力な道具になる.しかし極限定理にはもっと重要な 役割がある.それはランダム性..ランダムであるものが持つ特性..の秘密を 解き明かすことである.そして,そのことこそが大学で学ぶ確率の最も重要な 目的なのである.

そもそも「ランダムである」とはどういうことか.なぜ極限定理によってラ ンダム性の秘密を解き明かすことができるのか.こうした問いに答えるために, 本書では確率に並ぶ主題として“乱数”を取り上げた.乱数について学ばなく ても確率に関する計算はできるし定理の証明もできる.しかし確率とランダム 性の関係の本質を理解するためには乱数の知識が必要である.

乱数を取り上げたもう一つの理由は,モンテカルロ法の正しい理解と実践の ために乱数の知識が不可欠だからである.モンテカルロ法はコンピュータを用 いた大規模かつ高速なサンプリングによる数値計算法で,広く科学の諸分野で 活用されている.それゆえ理論のみならず,応用においても,乱数の正しい知 識を持つことは重要である.

本書は高校数学の知識で読めることを目指した.高校数学の範囲を超える部 分は付録で補った.いささか弁解がましいが,確かに大学の数学は難しい.そ の難しさには三つの大きな要素があると思う.

一つは扱う概念の精妙さ,それに伴う用語の複雑さである.たとえば“確率変数” という概念には“確率空間”の設定が必要であり,また付随している“分布”と いう概念とともにはじめて数学的実体として意味を成す.とくに“独立”のよ うに日常語としての意味と専門用語としての意味が異なるものには細心の注意 を払わなければならない.

二つ目は,証明や計算が長い,ということがある.本書でも長い証明や長い 計算がいくつもある.これは避けようがない.重要な定理や公式は容易に得ら れるようなものではないからである.本書ではとくに高校数学では見慣れない 不等式による推論がたくさん出てくる.辛抱強く論理の筋道を追って欲しい. ただし初めて読むときは証明や計算の詳細にこだわることなく,定理の意味や 考え方の理解を優先すべきである.詳細については大学初年の微分積分を修得 した後で再び挑戦すればよい.

三つ目は“無限”という概念が必須となることである.数学の諸概念が精妙 でなければならない大きな理由の一つに無限を扱うことへの配慮がある. 19世紀後半から“無限”に正面から取り組むようになって数学は大きな発展を遂げ た.しかし,無限は有限と本質的に異なる点が多く,我々の日常の直感がまる で利かなくなる.その際,精妙な理論が必要になるのである.本書では,可算 集合と非可算集合の区別,極限の取り扱いなどで無限の難しさを学ぶ.

いくつかの定理の証明に本書では一般の教科書には見られないものを採用した. 優れた考え方は一つとは限らない,ということを伝えたかったからである. 科学におけるブレイクスルーはおよそ一般的でない考え方から見出される.重 要な定理の証明などは複数知っておくように心掛けたい.

(後略)

 2014年5月
                               杉田 洋

目次

第1章 硬貨投げの数学
  1.1 数学モデル
  1.2 乱数
  1.3 極限定理
  1.4 モンテカルロ法
  1.5 無限回の硬貨投げ


第2章 乱数
  2.1 帰納的関数
  2.2 コルモゴロフ複雑度と乱数

第3章 極限定理
  3.1 ベルヌーイの定理
  3.2 大数の法則
  3.3 ド・モアブル-ラプラスの定理
  3.4 中心極限定理
  3.5 数理統計学

第4章 モンテカルロ法
  4.1 賭けとしてのモンテカルロ法
  4.2 疑似乱数生成器
  4.3 モンテカルロ積分
  4.4数理統計学の視点から

付録
  A.1 記号と用語
  A.2 2進法
  A.3 数列と関数の極限
  A.4 指数関数と対数関数についての極限
  A.5 C言語プログラム