数学書房選書第3巻 実験・発見・数学体験

小池正夫 著
A5判・並製・240頁・2400円+税

手を動かして整数と式の計算。数学の研究を体験しよう。 データを集めて、観察をして、規則性を探す、という 実験数学に挑戦しよう。

はじめに

 数学の世界は宇宙のような広がりをもっています.その広い世界を旅すればワ クワクするような感動を手にすることができると約束されています.数学は特別 な能力の持ち主でなければ, 旅をすることができない世界ばかりではありません.
しかし, その旅に出かける前に数学から離れてしまう人が多くいます.
 今の教育のシステムでは高校で学ぶことでしか「数学」に近づく道はないよう に思われます.しかし, 高校で使われている数学の教科書は全国どこでも同じよう なものばかりです.それには次のような欠点があります.数学の論理は, 置き石を 跳びながら川の向こう岸にわたるように, 目的の結論にたどりつきます.教科書が 同じようなものであると, その置き石が同じ間隔に作ってあるようになります.そ れでは跳べる距離が短い人は水の中に落ちてしまいます.そういう目に何度も会 うと, 数学から離れていってしまいます.跳ぶ力は人によってすこしずつ伸びてい きますが, 高校のある時期までに跳ぶ力が教科書に合うように伸びてきていない と, 数学から離れていくことになります.この本は, できるだけ置き石の間隔を短 く設計してあります.それを真似て, 自分専用のノートを作ることができれば数学 が身近に感じられるようになるでしょう.教科書に書かれている文章をそのまま でわからなければいけないんだ, と思うことはありません.
 教科書では多くの題材が扱われています.それらは数学の種です.しかし, コン クリートの上に置かれた種は, いつまでたっても芽を出すことはないでしょう.そ して, 種から芽を出しても豊かな土壌のなかにいなければ貧弱にしか育ちません.
この本では特別な種を選んで自由な成長を促してみました.高校生に話す機会があ れば, 高校数学にある壁について話します.その壁とは, ここから先に行ったら思 いもかけない体験ができるかもしれない所に置かれている見えない壁のことを言い ます.壁の向こうにある世界を, 時間がないからという理由で触れないようにして います.種を播いて, 自由に成長させると, その壁がないように, 自然にその壁の向 こうに枝を伸ばしていく様子が見られるものを選んでみました.その種から根が伸 びて思いがけない場所で, 他の種から伸びてきた根とつながることも見られます.
 この本では種の育て方を工夫しました.実験数学という方法を使って種を育て ました.実験数学の詳しい内容は第1 章に書いてあります.この本を読むにはそ こから始めることを勧めます.第1 章では実験数学に慣れることができるように 書き方を工夫しています.これについてはすぐ後で説明します.
 実験数学について簡単に述べると次のようになります.「数学の中で, 興味のあ るデータを集めてきて, それらを観察することで規則性を探す」というものです.
これは数学に限ることではありません.数学以外の科学でもデータを集めて, 観察 して, 規則性を見つけるという作業は基本です.科学の世界を旅しようと思ってい る若い人にとってもこの本でその作業に親しくふれることは貴重な経験になると 思います.私たちがあたりまえのように利用している脳の働きを取り出してきた だけのものです.
 第 1 章と第 19 章の書き方の工夫について述べましょう.
2つの章は, 高校への出前授業などで実際に使用した形式に沿って書いてありま す.出前授業などで心がけている3つの原則があります.
(1) 生徒がよく知っていることから話を始める.
(2) 授業の途中で, 生徒が手を使って計算ができる材料を用意する.
(3) 生徒がよく知っていることのすぐそばに, 今までは知らなかった面白いものがあることが体験できる.
とりわけ,(2) を大切にしています.授業で話を聞くだけではその内容を深く理解 することはできません.そこで手を使って計算してもらえる工夫をしています.第 1 章と第 19 章にあるように, 空白のある表を用意します.自分で計算することで 空白が埋まり, 表が完成します.自分で計算していると, 作っている表(データ) の 規則性に気づく可能性が高くなります.実際に授業を受けていると思って, 鉛筆と 計算用紙をそばに置いて, 本を読み進まれることを奨めます.他の章には空白のあ る表は用意してありませんが, 読者が自分で工夫した空白のある表を作れば, この 本を 2 倍楽しめると思います.
次にこの本の特徴について述べてみましょう.
普通の数学の本は, 定義, 定理, 証明が整然と並べられていて, 目標の理論に向 かってコンクリートの舗装道路を通すように書かれています.目標の理論を脳の 中に整理して蓄えるにはよい方法かもしれません.しかし, 数学との出会いを実り あるものにするには違った書き方もあるのでは思っていました.この本の工夫を あげれば, 定義, 定理, 証明のほかに, <疑問>, <問題>, <推測>, <考えるヒン ト>なども加えてその場所で何を考えているのかがわかるようにしています.疑 問が生まれてから問題にたどりつくまでに時間がかかることはよくあります.問 題には必ず答えがあります.
本に書かれている論理を目で追いながら読むことは難しいことなので, 途中で得 られた結論を文章の途中から抜き出してはっきりとわかるようにしました.長い 議論のときは, それらをつなぐ形にして, 著者の論理をたどれるようにしています.
論理の途中で, 本の別な場所で説明されたことを引用することがよくあります.
普通の本では, 「定理1.2 により」などで簡単にすませます.初心者には, それが理 解を妨げる障害になっています.この本では引用場所を書くだけですませること はしていません.必要な内容をもう一度その場に呼び出して使うようにしました.
話題は整数論の範囲から選んでありますが, ある理論を身につけさせてあげよう という強い意図はありません.それでも必要な言葉はところどころで用意していま す.高校の教科書には出てこない言葉も使っています.堅苦しい言葉は避けて, 独 自の言い回しで最初の出会いを印象深いものにしています.言葉は大切なもので す.考えていることが, それによって結晶化することがあるからです.見つかった 規則性を定理として証明することにはこだわらないようにしました.やさしけれ ば, その場で証明を述べました.難しいけれど証明をつけた方がよい, と思ったも のは付録としました.証明はつけないで, 読者に問題として残したものもあります.
数学は現実の世界に比べれば, 単純な世界から始まります.単純であるから, 何 が本質的であるかを見つけやすいと思います.本質的なものが何かを見抜く体験 をすることは大切です.それができるような材料をそろえました.本質的なものが 何かがわかればさらに発展させる方向が浮かんできます.そのようになれば, 数学 の世界の旅を続けられる羅針盤を手に入れることができたことになります.それ は数学の外の世界を旅するときにも, 持ち歩けるものです.

前置きが長くなりました.よい旅を!

目次

目 次


第 1 章 x^ n-1 の因数分解で見られる数と式の不思議な関係
  1.1 実験数学を紹介する
  1.2 実験数学のプログラムを説明する
  1.3 実験数学を体験する
  1.4 円分多項式の登場


第 2 章 本の裏表紙に書かれている,その本を識別できる,符号の仕組み
  2.1 11 の登場
  2.2 X の登場
  2.3 a_10 の働き
  2.4 誤り検出の仕掛け
  2.5 識別できる本の数
  2.6 2007年に規格が改定された


第 3 章 正五角形の描き方
  3.1 x^4 + x^3 + x^2 + x + 1=0 の解を求める
  3.2 正五角形を複素平面に描く


第 4 章 剰余法 2 の世界との出会い
  4.1 剰余法 2 の世界が露出している場所


第 5 章 剰余法 m の世界が広がる
  5.1 剰余法 m の世界のかけ算
  5.2 剰余法 m の世界のかけ算の表が満たす対称性


第6 章 誕生日を当てるゲーム
  6.1 剰余法 m の世界を利用する
  6.2 数字を変えたゲームを作る


第 7 章 剰余法 p の世界は特別美しい
  7.1 フェルマーの小定理をさらに掘り下げる
  7.2 べき乗表の観察を続ける
  7.3 位数と出会う
  7.4 部分群と出会う


第 8 章 剰余法 p の世界にある円上の点を数える
  8.1 剰余法 p の世界の円
  8.2 剰余法 p の世界の円上の点の個数の性質を探す

第 9 章 ピタゴラス数
  9.1 原素的なピタゴラス数を求める
  9.2 原素的なピタゴラス数に規則性を探す


第 10 章 数列から作られる形式的べき級数が威力を発揮する
  10.1 数列から形式的べき級数を作る
  10.2 漸化式の登場
  10.3 フィボナッチ数列の登場
  10.4 有理式の世界を通り抜ける
  10.5 ビネの公式


第 11 章 数式がいっぱい
  11.1 形式的べき級数の登場
  11.2 最初の問題に戻る
  11.3 式は続くよ,どこまでも


第 12 章 剰余法 2 の世界の多項式と整数は似ている
  12.1 既約な式は素数の仲間
  12.2 既約な式の関係


第 13 章 円分多項式の x に数を代入する
  13.1 さらなる規則を求めて
  13.2 -1 を代入して規則を探す
  13.3 さらに奥に進む
  13.4 さらにさらなる発展


第 14 章 天秤で重さを量ることが 2 進法とつながる
  14.1 3 進法へ進む


第 15 章 剰余法 m の世界のフィボナッチ数列を探す
  15.1 剰余法 m の世界でも漸化式が使える
  15.2 剰余法 m の世界のフィボナッチ数列の表
  15.3 剰余法 m の世界のフィボナッチ数列の周期の長さを考える
  15.4 剰余法 p の世界で周期の長さの性質を探す
  15.5 データをさらに集める

第 16 章 2 次式 x^2-x-1 の x に整数を代入する
  16.1 剰余法 p の世界で方程式を考える
  16.2 剰余法 p の世界で形式的べき級数を考える
  16.3 剰余法 5 の世界のフィボナッチ数列のビネの公式
  16.4 剰余法 p の世界で方程式の解がない場合
  16.5 剰余法 p^e の世界のフィボナッチ数列たちの満たす性質を探す
  16.6 残ったものにも規則がある


第 17 章 cos(2π/n) の正確な値を求める
  17.1 角度を易しいものにする
  17.2 cos(2π/n) の正確な値を小さい n について求める


第 18 章 円分多項式と三角関数の深いつながりにふれる
  18.1 チェビシェフ多項式の登場
  18.2 道の交差するところ----チェビシェフ多項式の因数分解
  18.3 チェビシェフ多項式は Ψ_d(x) たちで書けている


第 19 章 いろんな世界にいるパスカルの三角形を探す
  19.1 剰余法 2 の世界のパスカルの三角形
  19.2 剰余法 2 の世界のパスカルの三角形に見られる他のパターン

第 20 章 ベクトルで作るパスカルの三角形を探す
  20.1 行列で作るパスカルの三角形


第 21 章 剰余法 2 の世界のパスカルの三角形を形式的べき級数を利用して調べる
  21.1 剰余法 2 の世界の形式的べき級数の登場


第 22 章 剰余法 3 の世界のパスカルの三角形
  22.1 剰余法 4 の世界のパスカルの三角形


付録1 x^ m-1 を円分多項式で因数分解をする
  1.1 剰余法 m の世界との結びつき

付録2 剰余法 x^2 + x+1 の世界
  2.1 剰余法 x^2 + x+1 の世界は複素数をつくったことと似ている
  2.2 剰余法 3 の世界でもやってみる

付録3 剰余法 p の世界における 2 の位数の様子
付録4 剰余法 p の世界にはいつも原素が存在している