数学書房選書2 背理法
桂 利行・栗原将人・堤 誉志雄・深谷賢治 著
A5判・並製・144頁・1900円+税
背理法ってなに?
背理法でどんなことができるの?
というかたのために。
その魅力と威力をお届けします。
まえがき
まえがき
20 世紀初頭に解析数論で活躍した G.H. ハーディーには『ある数学者の生
涯と弁明』という有名な随想がある~1).その中で本物の数学とは何かというこ
とを説明する必要に迫られる場面がある.そして「どの数学者も第一級品とし
て認めるような本物の数学の定理(であって一般の人にも証明をこめてわかっ
てもらえるもの) の例」として「素数が無限個あること」と「√2 が無理数で
あること」の二つをあげるのである.われわれは今
i) このどちらの定理も背理法を使って証明される;
ii) このどちらの定理も昔は高校でも多く教えられていたが,いまでは教え
ないことも多く,大学生でもこの二つの証明を知らない学生もいる;
ということに注目したい.
実際,中学や高校の教科書の内容が薄くなって,論理や論証にかける時間も
少なくなっている.大学に入ってくる最近の学生は数学的論理が弱くなってい
ると大学教員の間でも話題になることが多い.それでも数学的帰納法や背理法
は数学に不可欠だから,さまざまな場面で必ず登場してつまずきの石となるこ
ともあるようだ.
数学的論理展開につまずいている学生のレベルはいろいろであって,つまず
く場所も実にさまざまである.「すべての x に対して F(x) が成立する」とい
うことの否定は「ある x で F(x) をみたさないものがある」であるがこのよう
な基本的な述語論理が本当には分かっていない人もいれば,数学的センスが良
すぎて既定の説明に満足できない人までいる(後者の場合,今までの筆者の経
験では,大概の人は自分のセンスの良さに気づいていない).
以上のような状況をふまえて,この数学書房選書の編者たちで,背理法を題
材にして一冊の本を作ろうということになった.この本はまた,背理法という
ものを習って,背理法という耳慣れない言葉に興味を持った人達や,背理法で
どのようなことができるのか,その方法自体に興味を持った人達を対象にして
いる.興味の対象はさまざまだろうということを考えて,あえて統一的な本の
形態はとらず 4 つの記事をそのまま集めた形で編集することにした(しかしな
がら,どれもこの本のための書き下ろしの原稿である).すべて独立の記事で
あるから,独立に読むことができる.自分にとって興味のある場所から読み始
めてもよい.また一つの場所がわからないときには他の記事に移ってもよい.
自由に読んでほしいと思っている.
最初の「論理の中の背理法」(担当:桂) では論理を展開する様々な方法を紹
介する.背理法をはじめとするこれらの論法を有効に用いることにより数学の
理論が構築され問題が解決される.前半はどの部分も独立して読めるよう配慮
して広く論法を取り上げ後半にはそれらをもちいた論理展開の例として初等整
数論におけるいくつかの興味深い話題の解説を与えた.話題は豊富なのでおも
しろい部分があれば,参考文献などを用いてその点をさらに深く学んでいただ
きたい.
次の「無理数と初等幾何」(担当:栗原) は√2 の無理性という背理法の典型
から始まる.無理性の概念は,通約不能性という概念でギリシア時代にはとら
えられていた.この稿では√2 の通約不能性の初等幾何的証明や,角の 3 等分
が定規とコンパスでは作図できないことの証明が述べられている.角の 3 等分
が不可能であることの証明の構造は,実は√2 が無理数であることの証明と驚
くほど似ているのである.たとえば正 9 角形は定規とコンパスで作図できない
が正 17 角形は作図可能である.このことのきちんとした証明も述べておいた.
3 番目の「背理法と対角線論法」(担当:深谷) ではこれも背理法の典型例で
ある対角線論法を扱う.対角線論法は集合論の創始者カントルが発明したもの
で実数全体の集合は自然数全体の集合と1 対 1 対応がつかないということが
そこから導かれる結論である.カントルの考えをさらに深めていくとでたらめ
に小数を書いたときにその小数が超越数(どんな整数係数の多項式の解にもな
らない数) になる確率は1 であるという一見驚くべきことが証明される.無限
個の事象が関わる確率であるので確率は 1 であるということの意味を明確に
する必要があるがそれを含めて解説している.
最後の「応用数学に現れる背理法」(担当:堤) は微分積分をある程度知って
いる読者が対象である.応用数学でも背理法が有効であることが,二つの例と
共に解説されている.最初の例では,微分方程式が特異性のある解を持つこと
を証明するために,どのように背理法が用いられるのかを考える.二つ目の例
では,ある地方で雨が降る間隔が昔より長くなったといういくつかの観測デー
タが得られているとき,それらから統計学的に何が結論されるか,ということ
が背理法との関係で論じられている.このような実生活に関連する内容を含ん
でいるので,興味のある読者も多いだろう.
この数学書房選書のポリシーのひとつとして,数学読み物ではなく,(すべて
とは行かなくても中心テーマについては) 自己充足的な証明をつけることがあ
る.特に今回は証明の手段である背理法がテーマだから,この本にはたくさん
の証明が書かれている.読者によっては,時間をかけて読まないと読み進めら
れない部分もあるかもしれない.でも数学の本とはそのようなものだと思って,
ゆっくりでもよいので読み進んで行ってほしい.そして,そんなふうに時間を
かけて考えることによって,少しでも何かがわかり楽しんでもらえたなら,わ
れわれがこの本を書いた目標は十分に達成されたと言えるだろうと考えている.
2011 年12 月
桂利行・栗原将人・堤誉志雄・深谷賢治
1)G.H. ハーディ/C.P. スノー著『ある数学者の生涯と弁明』柳生孝昭訳,シュプリン
ガー・フェアラーク東京.