ホモロジー代数学

安藤哲哉 著
A5判・上製・352頁・4800円+税

可換環論,代数幾何学,整数論,位相幾何学,代数解析学などで不可欠なホモロジー代数学の待望の本格的解説書。

まえがき

本書の執筆中の2008年8月13日に, Henri Cartan が104歳で他界された.氏と Samuel Eilenberg の共著書『Homological Algebra』(以下[CE])は1956 年に出版されて以来, ホモロジー代数の標準的教科書として多くの数学者に読まれてきた.和書では, 同書に沿って書かれた中山正・服部昭『ホモロジー代数学』共立(1957)(以下[中山・服部])や, 岩波基礎数学講座として出版された河田敬義『ホモロジー代数』(1976)(以下[河田])が標準的教科書として愛用されてきた.これらは名著であるが, 残念ながら両書とも絶版になって久しい.本書は, [中山・服部]や[河田]の代用たるものを提供することを目的に執筆した.ただし, その後30年間でホモロジー代数も大きく発展し巨大化してきたので, 新しい内容を追加すると同時に,必要性の低くなった事項は割愛し, 時代の要求に合わせて扱う内容をかなり変更することにした.
本書の構成について, 少し説明と弁解をさせて頂く.現在, ホモロジー代数は, 幾何学, 可換環論, 代数幾何学, 整数論, 代数解析学をはじめ, 多くの分野で利用されている.これら, すべての分野を念頭に, あらゆることを網羅的に解説しようとしたら, 分厚い数学辞典のような本になってしまう.逆に, ホモロジー代数の初歩は, 森田康夫『代数概論』培風館(以下[森田]), 彌永昌吉・小平邦彦『現代数学概説I』岩波(以下[彌永・小平])をはじめ様々な和書で解説されている.本書は, まったくホモロジー代数に触れたことのない人より, 上記のような入門的教科書を卒業した人で,特に可換環論, 代数幾何, 整数論などの可換代数に興味を持つ人に役に立つこことを念頭において執筆した.一応, 初心者でも読めるように書いてはあるが, ホモロジー代数を速習するなら, まず, 上記のような入門書を読んでいただきたい.
第1章「加群」, 第2章「複体の(コ)ホモロジー」は初心者のために設けられているので, 代数学をある程度勉強された方は飛ばして読んでいただくとよい.
第3章「射影的加群と移入的加群」からは, ホモロジー代数の初歩を勉強された方も, きちんと読んで頂きたい.ここには, [中山・服部], [河田]より新しい知見が多く盛り込まれている.ただし, [河田]にある cofreeについては, 割愛させて頂いた.第4章「導来関手」において, Abel 圏の一般論は本書では割愛した.[森田]や[彌永・小平]で説明されているようなホモロジー代数は一般の Abel圏でも並行して成立するが, 本書の内容(特に,Noether環や有限生成加群の理論)は一般の Abel 圏などでは成立しないものが多い.一般の圏上で成立する定理でも,環上の加群の圏の場合より,証明が複雑で難しくなるものも少なくない.そもそも,層の圏のように,環上の加群の圏には存在しない半完全関手の解説や,Abel 圏,導来圏,三角圏などの一般論を詳しく書き始めると,さらに数百ページを要する.そういう種々の事情で,本書では環上の加群のホモロジー代数を中心に説明することにし,圏上のホモロジー代数は,機会があったら別書で解説するのが適当と考えた.また, 本書では, 多変数関手の理論は省略して1変数関手だけを扱うことにした.[中山・服部]や[河田]で多変数関手を用いて説明されている事項は, 本書ではスペクトル系列を利用して説明してある.関手の自然変換も簡単に触れるにとどめた.
第5章「スペクトル系列」は, [中山・服部]や[河田]では終章で扱われているが, 最近の代数やトポロジーではスペクトル系列の知識が常識化しているので, 本書では早い段階で導入し, Ext や Tor もスペクトル系列を利用して説明した.
第6章「Ext と Tor」の内容は標準的なもので, それほど新しい内容はない.ただし, スペクトル系列を多用して解説している.Ext と Tor を速習するだけなら, 本書より[森田]などを読んでいただくほうが手っ取り早いが,ある程度専門的な議論をするためには,本書で解説したような手法が不可欠である.それから, [CE]や[中山・服部]にある「積」については,割愛させてもらった.積については, 幾何学者によるホモロジー論の教科書で勉強してもらうほうが, 積の幾何学的意味がよく分かってよいと思う.第7章以降の構成については, 弁解が必要である.まず, [CE]や[中山・服部]にある, 群のホモロジー, Lie環のホモロジーは割愛した.多元環のホモロジーについても,非可換環上の理論は割愛した.多くの教科書が出版されている現在では, これらの内容は各分野の教科書で勉強するほうが適当と考えたからである.例えば,非可換代数に興味ある方は, 巻末文献の[岩永・佐藤]を参照して頂くとよい.層のコホモロジーについても, Iversen[Iv]の邦訳を初め, いろいろな和書で解説されているので, 改めて本書で扱うに及ばないと考え割愛した.エタール・コホモロジーについては加藤和也の書に期待したい.
そういうわけで, 第7章「Noether可換環上のホモロジー代数」は[松村]で使われているような, Noether可換環におけるホモロジー理論を解説することを目標に執筆した.この章の内容は[松村]とかなり重なっているが,より詳しく解説した事項も多い.代数以外の専攻の方も, 第7章の前半くらいまでは読んでおいて損はないと思う.
第8章「標準加群と局所コホモロジー」は, 代数幾何や可換環論の専門家向けの内容であって, 特に,Hartshorne[H]を読まれた方には参考になると思う.初学者にはかなり難しい部分もあるので, ある程度, 可換環論や代数幾何に熟達してから読まれるとよい.特に, 次数付き加群のホモロジー代数は, 射影代数多様体への応用を念頭に書いた.
2010年2月

著者

目次
第1章 加群

1.1 環と加群
1.2 完全系列
1.3 可換環の基本概念
1.4 蛇の補題
1.5 直積と直和
1.6 帰納的極限と射影的極限
1.7 Hom
1.8 双対加群
1.9 テンソル積


第2章 複体の(コ)ホモロジー

2.1 複体の定義
2.2 ホモロジー・コホモロジー
2.3 複体の例
2.4 次数付き加群
2.5 ホモトープ
2.6 複体の完全系列


第3章 射影的加群と移入的加群

3.1 射影的加群と移入的加群の定義
3.2 射影的加群
3.3 移入的加群
3.4 移入閉包
3.5 射影分解・移入分解
3.6 複体の射影分解・移入分解


第4章 導来関手

4.1 圏
4.2 関手
4.3 半完全関手
4.4 導来関手の定義
4.5 導来関手の性質
4.6 関手とホモロジー
4.7 関手の自然変換


第5章 スペクトル系列

5.1 スペクトル系列の定義
5.2 スペクトル系列の基本性質
5.3 スペクトル系列の構成
5.4 完全対
5.5 2重複体
5.6 ホモロジー・スペクトル系列


第6章 ExtとTor

6.1 ExtとTorの定義
6.2 次元論
6.3 Kunnethの関係
6.4 超ホモロジー


第7章 Noether可換環上のホモロジー代数

7.1 局所化との関係
7.2 Noether可換環上の移入的加群の構造
7.3 Bass数
7.4 完備化とMatlisの双対
7.5 正則列
7.6 Koszul複体とCech複体


第8章 標準加群と局所コホモロジー

8.1 標準加群
8.2 局所コホモロジーの定義と基本性質
8.3 次数付き環の素イデアル
8.4 次数付き加群の圏
8.5 算術的CM次数付き環